HIPHOPに救われた話
二年前
日々、布団の中にひきこもりながらぼうっと天井を見つめているだけの、よく分からない 芋虫のような毎日を送っていた。
外に出る気力がなくて、もっぱらずっとyoutubeをぼーっと眺めていたような気がする。中身のないスカスカな動画を同じく中身のないスポンジのような脳みそで啜りながら見る。そんなくだらないルーティンワークに飲まれていたのだ。
そんなある日のこと
youtubeの『あなたへのおすすめ』という項目に、見かけない動画が表示されていることに気づいた。
それがなんで、私のところに表示されたのかは未だにわからない。
【崇勲vsダースレイダー】
そう書かれた2分もない動画を、私は何の気なしに再生したのだ。
その時は、崇勲のことも DARTH REIDERのことも知らなかったし、
フリースタイルダンジョンという番組も、そもそも 日本語ラップという文化にさえ触れたことがなかった。存在くらいは知っていたけど、とにかく未知のジャンルだった。
「DJ SN-Z!!かませ!」
スキンヘッドで割腹のいい男性がそう言った途端、スクラッチ音が鳴り響く。
画面の右上には、MCネームと、それから "3rd stage Round1"とテロップが出ていて、
そこから、多分 この2人がこれからバトルをするんだと分かったし、HIPHOPを聴いたことはなかったが、そういう文化があることだけは知っていたので
どんな感じなのだろうと考えながら 2人のやり合いが始まるのをスクラッチ音とともに待つ。
1stラウンドは、なんというか泥仕合のような感じだな、と思った。
なんだ、こんなものなのかぁ、と失礼甚だしいことを思ったが、残り1分もない動画をわざわざ停止して、また新しい動画再生するということがめんどくさくてそのままぼうっと眺めていた。
始まった2ndラウンド。私はここからのバースに人生を救われたのだ。
※どうしても、その全てを伝えたいので書き起すことにする。そして、少しでも分かりやすく伝えたいので、小さな解説を入れておく。
崇勲「OK 首の皮1枚で繋がった
平常心 アンタから学んできたこと
しっかりと伝えよう
(※崇勲にとってDARTH REIDERは恩人。)
俺もマイク持った職人 特に言うことは無いが 毒に侵されてくようなアンタは病人(※DARTH REIDERは脳梗塞を発症しその際に片目を失明している。トレードマークの眼帯はそのため。)
だけどもしっかりと気遣いできる男
ここから3本 しっかりとかまそう(※3本=8小節3ターン制のこと)」
DARTH REIDER「病人だからって勝手に心配されるのが病人にとっては一番辛いこと
病気を差別 病気を区別
そういうヤツらに向かってマイクを向ける
俺は常に上を向けてる illをレペゼン レペゼン
闇 daddy 俺の方がrappingをさらに ラッピングで包装してお届けする
病んでる奴らが常に勝つ 闇の世界へどうぞ」
崇勲「心配されるのが嫌か
じゃあ死んでくれ
それしか言うことはねぇ
これがアンタから受けた恩 返す仇
この技マジでわざわざ ここに来たから東京ageHaに登場
(※フリースタイルダンジョンの収録現場:新木場ageHa)
フリースタイルダンジョン 気分は上々 目指す頂上じゃなくアンタを撃破」
DARSH REIDER「 五分の虫にも少しの魂がある
生命を無視するような態度はダメだぜ
絶対言っちゃいけない言葉は死んでくれ
そう言われたから死ぬような俺じゃない
自殺は絶対ダメだぜ スーサイドスクワッド
悪役になっても生き返ってさらに活躍を見せる
(※洋画:「スーサイド・スクワット」のこと。悪役で受刑者である彼らがダークヒーリローとして活躍するというあらすじ。)
HIPHOPは逆転現象だぜ お前にも教えてやるよ 」
崇勲「確かに自殺はダメだ 俺の姉ちゃん10年前自殺で死んだ
見てくれてるかな天国の姉ちゃん 崇勲は今ここで頑張ってんだ
命の尊さ俺だってわかっているからこそ あえて言うHIPHOPは常識例外
最後に一言 死んでくれ」
DARTH REIDER「さらに即興でいおう
あのときに飛び込んだ青森の少女にも伝えたかったよ
(※2016年8月 青森県でいじめを苦に列車への投身自殺した少女のこと)
このHIPHOPの楽しさを
一緒にパーティーしたら考えも変わっただろう HELLOって言いたい全国の悩める奴らよ
立ち上がってやるぜ マイク一発で逆転できる
こんな俺だってこんなこいつだって楽しく生きれる人生 HIPHOPに幸あれ」
今まで聞いてきたどんな言葉や励ましよりも胸に刺さったし、
肩に乗っていた重荷や、私が背負わなければならないと感じていたことすべてが0になって、ただただ、まっすぐに「あぁ。たぶんラフに生きてもいいんだろうなぁ」と思えた。
たった、それだけの言葉。時間にして、わずか数十秒のメッセージは、しっかりと私に届いていて 気づいたら子供みたいにわんわん泣いていた。
人生を、自分を悲観しすぎていた私に向けられたかのようで、繰り返し繰り返し何度もシークバーを動かしては見て、そのたびに涙を流した。
ようやく泣き止んだころにはすっかり瞼が腫れていてひどい顔だったけど、
ものすごく心も体もすっきりしていて、それから少しずつ私は以前と同じような日常を取り戻していった。
始まりはそこから。一度没入すると徹底的に好きになってしまうタイプの私は
その日から狂ったようにバトルの動画を見あさり、DVDを買ったり、音源も買ってみた。
パニック障害を克服してすぐに足を運んだのはKOKというバトルイベント。
生で体感するMCバトルは何よりも新鮮で、人生で最もアドレナリンが出たと思う。
ひとつ、またひとつ。
知っていくたびに私はHIPHOPに救われた。
どんなに嫌なことがあっても、そのたびにあのバトルを見返し、そして様々な音源に触れ 立ち向かう勇気を貰った。
私が今日こうしてここに立っていられるのは、数々のMCたちの言葉に生かされてきたからだ。
TOKONA‐Xもその一人だった。
横浜で生まれ、愛知県の常滑で育った彼はトウカイテイオーと呼ばれている。
25歳という若さでこの世を去った彼の表向きの死因は、熱中症。
本当に、今ももし生きていたとしたら。日本のHIPHOPシーンはさらに盛り上がっていたんだろうと思う。
「ヨソで何いっとろうが構わん。俺の前で同じことよう言わんだろうが。」
(TOKONA-X :WHO ARE U?から)
心無い人の言葉に傷ついたとき、このリリックを聴くだけで 気にならなくなった。
TOKONAはもういない。けど私の心の中で TOKONAの言葉は確かに生き続けている。
3日前の11月22日はTOKONAの命日だ。
電車に揺られながら WHO ARE U?を聴いて、天国のTOKONAに向けて 大きな大きなTXポーズを掲げた。
ちなみに、WHO ARE U?は、ANARCHYやAK-69、紅桜、T-PABLOWなどがカバーしている。
真似できるもんならやってみ
俺のリリックパクればいい 勝手に
アナーキーになれるなんて勘違い
俺の口から飛び出るからパンチライン(ANARCHY)
TOKONAはもういないけど、
たくさんのMCや、ヘッズがその意志を受け継いでいる。
生きる伝説となった彼への最大のリスペクトと愛をこめて。