おにぎりちゃんのブログ

書きたいことを書いてます。

なぜ店長の連絡ノートはおもしろいのか?

なぜ店長の書いた連絡ノートはおもしろいのか?


先日、当店に中国人のお客様がお見えになった。深夜帯にも関わらず来て下さり、しかも飲み放題までつけてくれた上客である。

しかし、そんなお客様が飲みすぎたあまりに嘔吐してしまった。

その時 私は出勤していなかったのでわからないが、その日の深夜は忙しかったようで 多忙を極める中で嘔吐物の処理までするのはすごく大変だったろうと思う。


数日後 出勤して「連絡ノート」(従業員同士の伝達に使われる)を開くと、店長から「中国人のお客様がマットにゲロを吐かれて干してあります。 」との伝達事項があった。


わたしはそれを読んだ瞬間、ささやかに笑ってしまった。

本来、お客様が嘔吐したらしんぱいするたちばにあるはずなのに、なんでか少し面白くなってきて、私はずっとニヤニヤしていた。

それは皆同じだったようで、従業員のお姉さんも笑っていた。


何故こんなにおもしろいのか?


それは、考えれば考えるほどおもしろい絵面だからだと思う。


まず、これが「日本人のお客様」ではおもしろくない。

日本人の客がゲロゲロ吐くことなんて日常茶飯事だからだ。

これは中国人であるということが大きなウエイトをしめているといっていい。

もうその時点でおもしろい。

そして、中国人がマットにゲロを吐くというところ。

なぜマットなのか?

トイレに間に合わなかったのだろうが、店内に色々あるスペースの中でなぜマットを選んだのか?

吐いた時は「我嘔吐為 謝罪」みたいなことを言ったのだろうか?


噛めば噛むほど味が出る

考えれば考えるほどニヤついてしまう

まるでするめである


第2に、これが面白い理由として

「容易に想像できるから」があげられる。


我々は日常会話においても、この「想像」という力を働かせている。

たとえば

A「犬を飼ったんです!白くてもふもふで可愛いんですよ」

B「わぁ~!ぜったいかわいいですね!」

この時Bは、意識せずとも「白くてもふもふの犬」を想像しているのである。

想像は他者への共感を生む第一歩であり、会話の中で実は最も重要なものなのかもしれない。

この「中国人のお客様がマットにゲロを吐かれて」は、いとも簡単に想像するのことが出来るのだ。しかもかなりのギャグタッチで。

中国人のお客様が体を折り曲げ、右目からひとすじの涙を零しながら嘔吐しており、その後ろで 絶望的な表情をした店長が見える見える。

そして、シンデレラのように必死でお掃除をする店長。

マットを哀愁に染まった表情で洗い流す店長。

もはや0~10まですべておもしろいではないか。M-1優勝待ったなしである。

そのあと店長はマットを外で洗い流したらしい。

吐瀉物を一般道にぶちまけるのか、、、(困惑)と思ったが、店内で汚染された水を捨てられるのも困るのでこれは賢明な判断だったと思う。


最後に。店長の連絡ノートへの書き方にすべてが現れていた。

怒りと 悲しさと 切なさが混じった字だった。少し文字の輪郭が震えている気さえする。果たしてそれは ゲロを吐かれた怒りか、それとも、、、。

そして、現場の状況を端的にたった二行でまとめた表現力。

これは徒然草を書いた兼好法師でもびっくりするレベルだし、もはや今回のこの「中国人のお客様がマットにゲロを吐かれて干してあります」だなんて、探したら徒然草にあるんじゃなかろうか?

そして、うっすらと にじみでる 偏見。

本来、店長が我々に伝えたかったことは「ゲロを吐かれたのでマットは干してある」ということだけなのだが、あえて「中国人」という主語をつけたすことでいい味が出ている。

おそらく店長からしたら人種差別的な意味合いなど一切なく、彼の中で「中国人がゲロを吐いた」ということが印象的だったのだろう。

確かに、もしも同時に日本人と中国人にゲロを吐かれたとして、印象に残るのは後者であるから、店長が余分な主語をつけてしまっても致し方ないと思われるが、今回はケースがケースなだけあり 「中国人の客がゲロを吐く」というパワーワードを生み出してしまっていた。要するにパンチが強すぎたのだ。だからこそ、面白かったのだと思う。

休憩時間にこんなものをかく私はどうかしている。兼好法師だって仕事中には書いていなかっただろうに。

まあ いいや。

今回はおわり。

徒然なるままに。