私がもう二度とかかりたくない病気ランキング
思い返してみれば私はめちゃくちゃいろんなウイルスや病気に罹患している気がする。骨折などの外傷の経験はないのだが、ウイルスには好かれているようだ。
最近だとEBウイルス(伝染性単核球症)にかかったし、去年は盲腸で入院した。
踏んだり蹴ったりである。
そんな私が満を持してもう二度とかかりたくない病気ランキングをつくってみた。
第3位 インフルエンザ
これはかかるインフルエンザの種類によるのだが、重いタイプのやつに体が最も弱ってるときにかかると地獄である。
特に年齢を重ねる事に辛くなっている気がする。現に、わたしも私の母も久しぶりにインフルエンザになった際、二人してめちゃくちゃ痩せた。
母は「老いにはついていけない」と遠い目で赤ちゃんせんべいを齧りながら呟いていたのを覚えている。
症状としてつらいのは関節痛と物凄い倦怠感である。例えるなら、1週間ぶっ続けで泳いだ疲れが溜め込まれて思いっきり突然来襲しただるさだ。
体育のプールのあとの現代文の授業の10乗くらいのダルさとどうしょうもなさなのだ。
サラッと書いていた関節痛も死ぬほど辛い。いっそ四肢をもぎとってくれればいいのにとすら思うほどの痛さと不快感で、私はいつも膝が叩き割られているのではと錯覚するほどの痛みに襲われるので、潰れたカエルような体勢になってなんとか痛みをしのいでいる。インフルエンザの前では乙女のプライドなど微塵も存在しない。この地獄のような現状を打破する解決策は苦肉のカエルポーズしかない。
ただ、予防接種だけしておけばかからない時もあるし、万一かかっても軽症で済む場合もあるのでコイツは3位となった。
第2位 盲腸(虫垂炎)
わたしはこの病気の存在をさくらももこのエッセイ、「もものかんづめ」だかなんだかを読んで知ったと思う。
当時は笑っていたが、いざ自分の身降りかかると笑えない。
発症した朝、私は同時期に膀胱炎も発症していたため、その痛みかもしれない思いこみ、心配する母を他所にヒィヒィ言いながら痛む片腹を抱え学校に向かったが関の山である。
2時間目あたりで痛みはヒートアップしてきた。もしこれがナイトクラブだったらピーク真っ盛りといったかんじで、とにかく朝のぼんやりとした痛みに比べたら同一人物とは思えないほどの急成長である。戦後の日本かよ。
わたしはさすがにやばいと思い、泣きながら「病院に連れて言ってくれ」と母に懇願した。母は「もう!だから言ったでしょ!」とプンスカしていたが事態は急変する。いつもお世話になっている温厚で優しい内科の先生が「これはやばいですね」と言い出し、看護師にすぐ受け入れてくれる病院に電話しろと命令し始めた。若干キレていた。普段はとても優しく、嘔吐が止まらないと泣きわめくわたしを慰め、「すきなものをたべていいからね、なにがすき?」と優し聞いてくれるような先生なのだ。ちなみこの時はわたしはなぜか「フライドポテト」と答え、先生は「そんなもん食ってるからゲロ吐くんやぞ」とで言いたげな顔をしていた。そんな先生もキレつつ紹介状も書き始め、母は目が点になっていた。わたしは盲腸の検査のため、腹の至る所を指圧され「いてぇよ、、、」と産卵時のウミガメの如く診察台に寝転がりながら泣いていた。
すぐに向かうようにといわれ、わたしは向かった先の病院で緊急入院だと告げられた。
鎮痛薬を打ってもらったお陰で痛みは軽減したし、幸い手術ではなく点滴での対処になったのでそこまで入院することはなかった。
しかし、盲腸のせいでわたしは2日間の断食を強いられた。体調は回復し、腹も痛まないのに、「ダメです」という無慈悲な処刑宣告。わたしは大人しくポカリを飲んでいた。しかし、そのポカリすら1口しか含んではならないという禁忌があり、わたしはキレそうだった。
四人部屋だったので、隣のおばあちゃんたちがムシャムシャ何か食べていたのでわたしは餓鬼になるかとおもった。
↑わたし
やっと三日目の夜にご飯にありつけたが出てきたのは離乳食の成れの果てのようなドロドロした物体で、わたしはまたキレそうになった。
まともなご飯を食べれたのは退院当日の朝である。
もう二度とかかりたくない。
栄えある第1位 それは
めちゃくちゃ清潔感溢れる色で紹介したものの、コイツは清潔感とは全く無縁の言葉であると言っていい。むしろ清潔感の対義語として広辞苑に登録されてもいいのではないか?
コイツは主に冬にやってくる。北風小僧の三太郎かな?
冬は私にとって恐怖の季節で、手がガサガサになるまで洗うのは毎年の恒例行事なのだ。
私がコイツにかかったのは小学校高学年の頃だったと思うあまりにも辛かったため、記憶がめちゃくちゃ曖昧なのだが、ハチャメチャに辛かったことはしかと覚えている。
最初に我が家にウイルスをもちこんだ戦犯は当時幼稚園児だった妹だと思う。
最初に妹が発症→母と私が同時に発症→父も発症(しかし軽症)
ちなみに祖母はピンピンしていた。わたしたちのゲロ処理を行い、共通のトイレを使っていたのにも関わらず。
戦前に生まれた血は、強い。私はそう確信した。
発症当時の晩御飯(最後の晩餐)は豚トロだった。
後はわかるな。
ちなみに、ノロウイルスの嘔吐は一般的な嘔吐とは少し違う。
一般的な嘔吐は「あっやべ」というインターバルがあるのだが、ノロウイルスは全く違った。わたしはごはんを食べ終えたあと、ゲラゲラ笑いながらマンガを読んでいたサラッとでた。
そう、ほんとにサラッと。
「アハハ!ケポッ」
意味がわからない上に一体なにが起きたのかわたしは理解するのに数十秒かかった。
そして全てを理解し終えた瞬間に、解き放たれたのである。
そこからの2日間は地獄である。
あまりにも辛かったせいなのか、1日目の記憶しかない。
そして完治して3日目にみんなで赤ちゃんせんべいと食パンを黙々と貪っていた記憶がある。
それくらい辛いのである。
そのうえコイツは非常に厄介で、100個程度人体に入っただけで発症する。
嘔吐物からの感染、空気感染が主で、電車やショッピングセンターでもしも感染者が嘔吐したらおわりかもしれないのだ。パンデミックの始まりである。
コイツは本当に辛いので、生牡蠣を食べる人たちが本当に頭おかしいんじゃないのかとおもう。
以上。
みんな
気をつけよう!!!、