盲腸になった時の話
盲腸になったのは三年前のことだろうか?うろ覚えなのでわからないが多分そうだと思う(池沼)
当時わたしは高校生だった。そう考えると感慨深く、ちょっとおセンチな気分である。
盲腸になった日の朝、わたしは右腹部を襲う謎の違和感に苛まれていた。
起きがけからそんなコンディションだったので、テンションはもはやマイナスだった。
そして、「なんかお腹が変」とぼそっと呟いた私に母は「膀胱炎じゃないの?」と言い、猪苓湯(膀胱炎の薬 )を差し出してきた。
寝起きの機嫌の悪さ+謎の痛み+明らかに違う薬を渡された怒りでわたしは「は?(威圧)こんなもん効くわけないやろもうえぇわ学校行くわ」とプンスカしながら登校した。馬鹿である。学校へ向かう途中、いよいよ盲腸は本格的に始動し始め、この当たりからもやもやがズキズキに変わり始めた。
(もしやこれは、、、)
この時、わたしは「盲腸なのでは」と思い、クラスの友人に「これさ、、、めっちゃいたい、盲腸かな?」と聞いてみたのだが、「うーん盲腸だったら来れないと思う」と至極真っ当なことをいわれ(まぁ来たのだが)「せやな」と思いわたしは自分の席に戻った。
幸いこの日は授業が2時間目までしかなく、不幸中の幸いだったのかもしれない。そして、下校の時には盲腸はヒートアップし、最終局面を迎えようとしていた。
例えるならば、家を出る時は幼稚園のお遊戯会レベルが下校時には本場スペインのフラメンコ並の進化を遂げていた。
まるで内臓を刃物で刺され、熱した鉄パイプを当てられているかのような痛み。
それは歩く度に襲ってくる。
そんな中でもわたしは(いまマサイ族みたいにジャンプしたら多分しぬな)などと意味のわからない妄想をして、笑っていた。そしてやっとのことで家に着くともはや腹の痛み具合は白熱していた。ズボンすらヒィヒィ言いながら履いたほどだった。母は「だから薬のめっていったでしょ!」と怒っていた。
わたしは母の運転する車に揺られながら近くの内科へと向かった。
高校生にもなってわたしは内科の待合室で号泣した。痛みは鉄パイプや刃物どころではなく、右腹部に核ミサイルでも撃ち込まれたのではと錯覚する程だった。
1時間ほどして診察室に呼ばれ、泣きながら先生にお腹を触診される。
お腹をトントンと叩かれながら「ここは?」「じゃあここは?」などと言われながら痛みが発生している場所を特定していく先生。盲腸たちにとってはアノニマスくらいの脅威だと思う。
先生はやさしく「ここがいたい?」と先ほどフラメンコ会場であり今は核ミサイルが撃ち込まれた場所を押してきた。
先生が手を離した瞬間、痛みが猛烈に遅い「タナカッ!イタイ!」などと絶叫した。
痛みによるパニックでわたしはお腹と田中を言い間違えるという奇跡を起こし、母は笑っていた。
先生はそんなわたしをみて「憩室炎かもしれない、、、」と真剣な眼差しで語った。「すぐに大きな病院へ!」
医療ドラマでみたあのシーンが繰り広げられている。わたしは感動した。
先ほど田中で笑っていた看護婦さんも慌てふためきだし、近くの大学病院へ急患が行く旨を伝えるために電話をし始めた。しかし、一向に繋がらない。無能である。
やっと繋がったと思いきや、調子が悪いのかまったくお互いの意思疎通ができず、普段は温厚で優しい先生が「ちゃんとかかってからもってきて(ガチギレ)」と看護婦さんに怒っていた。
わたしはそれをみて笑ったせいでまた腹を痛めた。
母は「あっやばい」と思ったのか急に怒るのをやめ、事態が急展開を迎えたことを悟ったのか、なぜかわたしの腹にそっと おさるのジョージのタオルをかけはじた。そんな小さなエテ公のタオルをなぜかけたのか?未だにそれはわからない。
あれよあれよという間に紹介状をわたされ、大学病院へとむかった。
そこでメガネ先生に診察され、メガネ先生は半笑いで「緊急入院です!」と宣言した。
私と母に激震が走った。
実は大学病院へ向かう車内で、「幼なじみのNちゃんも盲腸かかったけど、お薬でおわりだったみたい」と聞いていたので、まさか入院だとは思わなかったのだ。
緊急入院、その言葉を聞いた時わたしは愕然とした。今日帰宅出来るくらいの心持ちでいたのに。
看護婦さんたちは私のために部屋の準備をしてくれ、母は一度自宅にわたしの入院セットなどを作りに帰り、当の私は母が「あっ、先週わたしインフルで~」などと余計なことを口走ったため、鼻に綿棒を突っ込まれていた。三重苦である。鼻も、腹もいたい。加えて熱も出てきた。平成のヘレンケラーは私ではないか?とその時はおもった。
病室は私以外全員おばあちゃんだった。
「これが少子高齢化か、、、」と意味不明なことをおもいつつ、ベットに寝転がった。
しかし、痛くて痛くて眠れない。わたしは速攻ナースコールをおし、痛み止めをくれと訴えた。「はぁいわかりました」とにこやかに消えていく看護師。
しかし、看護師がもってきたのは薬ではなく、そこそこでかい注射だった。今思えばあれは麻酔の類だったのだろうか?
筋肉注射をされ、わたしは痛みから解放された安心感と体をおそう倦怠感に勝てず、そのまま眠ってしまった。
2日目
痛みはほぼ皆無になっていた。どうやら昨日からずっと盲腸を散らす点滴をしているらしい、どうりで右腕に違和感があると寝ている時から思っていた。
手術で取るほどの大きさでもないし、女の子だから傷が遺るのはかわいそう(哀れみ)という先生のご意向によって、点滴になったらしい。
ほーん、手術じゃないならえぇわ。
盲腸って案外楽やなぁと思ったのも束の間、栄養士がわたしのところにやってきた。
わたしはウキウキで今日のメニューか?と思っていたがどうやら「あと3日は絶食やで、でもそれ終わったらワイが貴様の献立考えたるからな。そういうわけやで、よろしく」と言いに来ただけだった。
お腹は当然空腹である。
わたしは泣いた。
ご飯があと3日は食べられない。今日も含めたら4日、、、?
水も口にしてはならぬと言われ、もはやわたしは何のために存在しているのか分からなくなった。
わたしは涙目でテレビをつけたのだが、画面の中で春日が美味しそうにステーキを頬張っていたので即消した。
この4日間の記憶はない。ない。ない。
割愛する。そして5日目。やっと食料にありつけた。しかし、出たメニューは重湯という、お粥をさらにぐしょぐしょにした 米の味のする液体である。
メニューは重湯と、鶏ガラスープだった。おい、液体しかねぇじゃねぇか!!隣のばあさんでさえなんか固形物くってるよオイ!!!
殺意を抱きながらもとにかく重湯を口にしたが、元々お米そのものに味なんてないだろう説を唱えるわたしにとって重湯はただの拷問でしかなく、8割のこして、鶏ガラスープを完飲した。そしてこの日から飲みものも解禁されたため、わたしは点滴のガラガラをひっさげながらスキップで自販機へとむかった。
古かったのか、歩く度に「ガラガラガラ!キィ!!!!」という点滴をさげる棒みたいなやつは、苦情が入ったのだろうか?いつの間にか新しいものに変わっていた。ごめんなさい。
自販機で買って飲んだ紅茶は死ぬほど美味しかった。私は泣いた。
砂糖って偉大だよなぁと思いつつその日は寝た。
そしてついに退院の日。
わたしは食のありがたみと、内臓
が炎症を起こした時の痛みを経験して帰宅した。
もう二度と、盲腸にはかかりたくない。
私がもう二度とかかりたくない病気ランキング
思い返してみれば私はめちゃくちゃいろんなウイルスや病気に罹患している気がする。骨折などの外傷の経験はないのだが、ウイルスには好かれているようだ。
最近だとEBウイルス(伝染性単核球症)にかかったし、去年は盲腸で入院した。
踏んだり蹴ったりである。
そんな私が満を持してもう二度とかかりたくない病気ランキングをつくってみた。
第3位 インフルエンザ
これはかかるインフルエンザの種類によるのだが、重いタイプのやつに体が最も弱ってるときにかかると地獄である。
特に年齢を重ねる事に辛くなっている気がする。現に、わたしも私の母も久しぶりにインフルエンザになった際、二人してめちゃくちゃ痩せた。
母は「老いにはついていけない」と遠い目で赤ちゃんせんべいを齧りながら呟いていたのを覚えている。
症状としてつらいのは関節痛と物凄い倦怠感である。例えるなら、1週間ぶっ続けで泳いだ疲れが溜め込まれて思いっきり突然来襲しただるさだ。
体育のプールのあとの現代文の授業の10乗くらいのダルさとどうしょうもなさなのだ。
サラッと書いていた関節痛も死ぬほど辛い。いっそ四肢をもぎとってくれればいいのにとすら思うほどの痛さと不快感で、私はいつも膝が叩き割られているのではと錯覚するほどの痛みに襲われるので、潰れたカエルような体勢になってなんとか痛みをしのいでいる。インフルエンザの前では乙女のプライドなど微塵も存在しない。この地獄のような現状を打破する解決策は苦肉のカエルポーズしかない。
ただ、予防接種だけしておけばかからない時もあるし、万一かかっても軽症で済む場合もあるのでコイツは3位となった。
第2位 盲腸(虫垂炎)
わたしはこの病気の存在をさくらももこのエッセイ、「もものかんづめ」だかなんだかを読んで知ったと思う。
当時は笑っていたが、いざ自分の身降りかかると笑えない。
発症した朝、私は同時期に膀胱炎も発症していたため、その痛みかもしれない思いこみ、心配する母を他所にヒィヒィ言いながら痛む片腹を抱え学校に向かったが関の山である。
2時間目あたりで痛みはヒートアップしてきた。もしこれがナイトクラブだったらピーク真っ盛りといったかんじで、とにかく朝のぼんやりとした痛みに比べたら同一人物とは思えないほどの急成長である。戦後の日本かよ。
わたしはさすがにやばいと思い、泣きながら「病院に連れて言ってくれ」と母に懇願した。母は「もう!だから言ったでしょ!」とプンスカしていたが事態は急変する。いつもお世話になっている温厚で優しい内科の先生が「これはやばいですね」と言い出し、看護師にすぐ受け入れてくれる病院に電話しろと命令し始めた。若干キレていた。普段はとても優しく、嘔吐が止まらないと泣きわめくわたしを慰め、「すきなものをたべていいからね、なにがすき?」と優し聞いてくれるような先生なのだ。ちなみこの時はわたしはなぜか「フライドポテト」と答え、先生は「そんなもん食ってるからゲロ吐くんやぞ」とで言いたげな顔をしていた。そんな先生もキレつつ紹介状も書き始め、母は目が点になっていた。わたしは盲腸の検査のため、腹の至る所を指圧され「いてぇよ、、、」と産卵時のウミガメの如く診察台に寝転がりながら泣いていた。
すぐに向かうようにといわれ、わたしは向かった先の病院で緊急入院だと告げられた。
鎮痛薬を打ってもらったお陰で痛みは軽減したし、幸い手術ではなく点滴での対処になったのでそこまで入院することはなかった。
しかし、盲腸のせいでわたしは2日間の断食を強いられた。体調は回復し、腹も痛まないのに、「ダメです」という無慈悲な処刑宣告。わたしは大人しくポカリを飲んでいた。しかし、そのポカリすら1口しか含んではならないという禁忌があり、わたしはキレそうだった。
四人部屋だったので、隣のおばあちゃんたちがムシャムシャ何か食べていたのでわたしは餓鬼になるかとおもった。
↑わたし
やっと三日目の夜にご飯にありつけたが出てきたのは離乳食の成れの果てのようなドロドロした物体で、わたしはまたキレそうになった。
まともなご飯を食べれたのは退院当日の朝である。
もう二度とかかりたくない。
栄えある第1位 それは
めちゃくちゃ清潔感溢れる色で紹介したものの、コイツは清潔感とは全く無縁の言葉であると言っていい。むしろ清潔感の対義語として広辞苑に登録されてもいいのではないか?
コイツは主に冬にやってくる。北風小僧の三太郎かな?
冬は私にとって恐怖の季節で、手がガサガサになるまで洗うのは毎年の恒例行事なのだ。
私がコイツにかかったのは小学校高学年の頃だったと思うあまりにも辛かったため、記憶がめちゃくちゃ曖昧なのだが、ハチャメチャに辛かったことはしかと覚えている。
最初に我が家にウイルスをもちこんだ戦犯は当時幼稚園児だった妹だと思う。
最初に妹が発症→母と私が同時に発症→父も発症(しかし軽症)
ちなみに祖母はピンピンしていた。わたしたちのゲロ処理を行い、共通のトイレを使っていたのにも関わらず。
戦前に生まれた血は、強い。私はそう確信した。
発症当時の晩御飯(最後の晩餐)は豚トロだった。
後はわかるな。
ちなみに、ノロウイルスの嘔吐は一般的な嘔吐とは少し違う。
一般的な嘔吐は「あっやべ」というインターバルがあるのだが、ノロウイルスは全く違った。わたしはごはんを食べ終えたあと、ゲラゲラ笑いながらマンガを読んでいたサラッとでた。
そう、ほんとにサラッと。
「アハハ!ケポッ」
意味がわからない上に一体なにが起きたのかわたしは理解するのに数十秒かかった。
そして全てを理解し終えた瞬間に、解き放たれたのである。
そこからの2日間は地獄である。
あまりにも辛かったせいなのか、1日目の記憶しかない。
そして完治して3日目にみんなで赤ちゃんせんべいと食パンを黙々と貪っていた記憶がある。
それくらい辛いのである。
そのうえコイツは非常に厄介で、100個程度人体に入っただけで発症する。
嘔吐物からの感染、空気感染が主で、電車やショッピングセンターでもしも感染者が嘔吐したらおわりかもしれないのだ。パンデミックの始まりである。
コイツは本当に辛いので、生牡蠣を食べる人たちが本当に頭おかしいんじゃないのかとおもう。
以上。
みんな
気をつけよう!!!、
EBウイルスにかかりました
ある日の朝。
「なんか喉痛い」起床そうそうに私はそうおもった。でもわたしはアホみたいに口をあけて寝てる事の方が多いタイプなのでその時は「あぁ、また口開けて寝てたんやろなぁ」と自分に言い聞かせ、元気にスプラトゥーンをし、その日は就寝した。
一日寝ても痛みが取れないので、トラネキサム酸が主成分の薬を飲み、のど飴をしこたま舐めたのだがまったく効果が無い。
これはいよいよやばいなとおもい、ちょっと喉の奥を見てみることにした。
iPhoneのバックライトをつけて、鏡を机にたて、そっと喉奥を覗いてみると、扁桃の部分が真っ白になっていた。
「あれ?ゲレンデかな?」って。
季節的には春だけど、ちょっと遅れたスキー会場かな?って。
いままでにみたことない喉奥の雪化粧にわたしは困惑した。
とりあえずその日は綿棒にイソジンを塗ってオエッってなりつつも真っ白になってる部分をグリグリしてみたりした。
でもとれない。思えばこの時点でやばい気がした。
「んまぁ寝たら治るやろ」
そう言い聞かせてわたしはR-指定とDOTAMAのダンジョン対決をみて寝た。
翌日、いよいよやばい。来るところまで来てしまった、つばを飲み込むと激痛が走るのだ。まるでカミソリを飲んでいるかのような、鋭い痛みだった。「あこれやべぇやつだ」
以前スズメバチと遭遇した時と全く同じ感想しか出てこなかった。強烈すぎる喉の痛み、倦怠感、関節痛を抱えたまま私はベットの上で真っ白な天井を見つめていた。
一体何がいけなかったのか?
やはり口を開け寝ていたのか?
しかし口を開けて寝ていたくらいで喉の奥が真っ白になり、リンパがピンポン玉くらい膨らむことがあるだろうか?
天井は何も答えてはくれず、ただただ壁掛け時計のカチコチという音だけが響いている。
頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになっていた私を現実に引き戻したのは静かな部屋に響いた携帯のバイブレーションだった。
母からの電話だった。
その第一声は「大丈夫?」だったので、思わず私はエスパー魔美かな?????と言いそうになったが、痛む喉を抑え、「だいじょばない」と答えた。ちなみにこの時の声は天龍さんである。
母の話によればわたしは昨日はヤバすぎるイビキをかいていたらしく、「相当調子悪いんだな」と思ったらしい。
正確に言えばイビキではなく、扁桃が腫れているせいでうまく呼吸ができないに近いのだが。
結局その日のうちに病院にいくことになった。
なんとかフラフラしつつも着替え、「なんで置いていくんやゴルァ!」と吠え散らかすわんこを宥め家を出る。
いつもお世話になっている内科の先生のところに行こう、と母は車を走らせた。
しかし結論からいうとその内科はやばかった(患者のキャパシティ的な意味合いで)。どれ位やばいかというと、いつもガラガラの駐車場が空いていないのだ。マッマが気をきかせて私の代わりに診療所の中ををみてきてくれることになった。わたしは車内からマッマを見守っていた。マッマはドアを開けるでもなくチラッと診療所の中をみて踵を返して戻ってきた。ガイアの夜明けのOPに使えそうな面持ちだったし、中島みゆきが「地上の星」を歌い出してもおかしくない緊迫感だった。ワイは悟った。「これ無理やな」と。
そんなに患者がいるってことはわたしが痛みに喘いでいる間にこの片田舎でちょっとしたバイオハザードでも起きたのだろうか?
ここから私と母の怒涛の病院探しが始まる。
!緊急企画!ドクターをさがせ!
かかりつけの耳鼻科は予約制でダメ。
お馴染みの内科もバイオハザードなので無理。
あれ待てよ、、、
、、、
、、、?????
今日って木曜日じゃない、、、、???
そう、多くの病院が休診日である木曜日だったのだ。
もし私がアメリカ人だったら「OMG」って言ってたと思う。
わたしは車内で絶望した。思わず最大までリクライニングしてやった。
こんな痛みを抱えながら明日まで耐えるのか、と。泣きたくなった。
そして早めに病院に行かなかった自分の愚かさを呪った。
なぜ、あんなチンケな市販薬とのど飴でやり過ごせると思ったのだろうか?過去の自分に腹が立ち、助手席でゴム毬のように跳ねようとしたところ、母から「見つかった」という言葉が聞こえ、私は心の底から安堵したのである。
捨てる神あれば拾う神あり。
今すぐ来てくれるなら見てくれるという。
私は死ぬほど感謝した。
もうこいつが新世界の神なのではないだろうか?キラ様では?
私はここから勝手に救世主をキラと呼ぶことに決めた。
ついたところはかなり小さな病院で、ビルの二階にあった。ちなみなエレベーターなど生易しいものはない。お年寄りにも容赦のないキラ。
おいおい勘弁してくれよ
こっちは関節が死ぬほどいてぇんだよ。
突如襲いかかった理不尽にイラッとしながらも狭くて急な階段を上る。設計ミスかな????それとと新世界のキラはここで挑戦者をふるい落としているのかな?????
わたしは関節の痛みに耐えつつ頑張って登った、キラに会うために。
もはや気分は患者とかじゃなくてLだった。
自動ドア(ここだけ最先端)が空いた瞬間心の中で「こんにちは、私がLです」そう呟いてみた。
さて、、、どいつがキラだ、、、。
ちなみに院内はめちゃくちゃにかわいかった。恐ろしくメルヘンだった。脳内キラとのギャップに戸惑うしかない。
新世界のキラめっちゃメルヘン~~!!!かわいい~!!!!こだわりあるぅ~!!!!!!
くまちゃんのクソデカぬいぐるみ飾ってあるしなにこれ~~~~~!!!かわいい~~~!!!!!
サンリオピューロランドのパチモンと化した院内を見回していると、
すぐに診察室に通された。
新世界のキラはおじいちゃんだった。
おじいちゃんはわたしの喉を一目見た瞬間に「アッ」という一言を発し、無言で私のリンパを触診し始めた。
医者の口から一番聞きたくない一言だし、神妙な顔で人のリンパを触るのはやめろ。
おじいちゃんはペンタブ(ここも最先端ポイント)(エレベーターはない)みたいなのでわたしの喉をパーっとかいてくれた。きたねぇ。すげえヘタクソ。この調子じゃデスノートに名前書いてもたぶん反映されないとおもう。
この時の私は、熱と痛みにうかされ、判断力というか知能指数が全体的に下がっていたので、「なまえ、、、書かれなくてよかった、、、このおじいちゃん、一見弱そうだけどキラだもんな、、、」とかおもいつつぼんやり話を聞いていた。
「これはねぇ普通じゃないんですよ」とのアバウトすぎる診断を下してきた。
どうやらリンパが普通の腫れ方ではないらしい。
自分自身、リンパがピンポン玉くらいに腫れてるのには数日前から気づいていたのだが、ずっと前から小顔マッサージをしていたので、「溜まった老廃物かな☆効果出たのかも♡」と呑気に考えていたので特に気にもしていなかったのだ。
去勢したうちの犬の金玉のよりもでかくなったリンパの腫れをここまで放っておいた私は馬鹿だ、
念のため血液検査をするので、検査結果次第で明日大きな病院へ行けと言われた。
オイオイまじかよとんでもねぇ事になったな。マッマとわたしはそうおもった。
想定外に血を抜かれ、紹介状というデスノートに名前を書かれるかもしれない私。おそらく紹介先は以前母がお世話になった大学病院(うろ覚え)だろう。まさか親子揃ってお世話になるとは。笑うしかない。
母は第2のキラ(紹介状先の先生)について調べていた。真っ先に相手を調べる捜査官の鑑。FBIかな???
マッマ「この人だって。」
ワイ「なんかゴマみたいな顔してるね」
待合室では第2のキラ対策会議が行われていた。
私は第2のキラの顔も名前もわかってしまった。もしも私がデスノートの保有者だったらコイツは死んでいるので、命拾いしたことを感謝してほしい。
今思えばなぜわたしのことを診療してくいるのか殺そうとしているのか不明だがこの時はそう思った。
そして翌日。
おじいちゃん先生こと新世界のキラの元を朝イチで再び訪れ詳しい血液検査の結果を聞く。(やはりエレベータはない)
新世界のキラ曰く「肝臓の数値がやばい」とのことだったので無事デスノート(紹介状)に名前を書かれ私は死後の世界(大学病院)に行くことになった。
マッマ曰く、どうやら第2のキラ、ことゴマ先生は今日は休診らしい。
待合室でぼーっとしているとすぐに「○○さーん」と診察室へよばれる。
私はゆっくりとスライド式のドアを開けた。
そこにはゴマが鎮座していた。
????????
おまえいないんちゃうんか???
デスノートに名前書いたはずのやつが生きていた時の衝撃ににている。
「なぜこいつが、、、!」困惑しつつも椅子に座り、病状を話すと、
ゴマはうんうんと話を聞きつつ、喉を見てくれた。
その時にあのおじゃる丸の杓子みたいなのを使おうとしてきたので、すばやく全力で拒否した。はやく閻魔様にかえしてこい。
「アッソレオエッテナルンデイヤデス」
「わかったわかった」
随分ものわかりのいいゴマだなぁ(感心)
先生は「喉白くなってるねー、ちょっと鼻からカメラいれるねー喉の奥の写真もとるね」といってなにやら高そうな機械を用意し始め、そして突然思い立ったように「あっそうだこれ、やっておくね」と書類を渡すノリで人の鼻に棒を突っ込んで鼻の奥に薬を噴射してきた。
第二のキラは恐ろしいやつだった。間違いなくサイコパスだ。勝てない。
そもそもいないって言ってたのにいるし、あと鼻にカメラってなんだよ。そんなとこ撮ったことねーよ、、、。
先程鼻奥で噴射された薬のせいな死ぬほど噎せつつ、私は処刑(鼻カメラ)の時間を待った。
用意されたのは、縄跳びみたいなやつだった、縄の部分を鼻の奥にズルズルと入れられ、持ち手の部分をゴマが操作していた。
感覚的にはインフルエンザの検査に似ている。この時わたしは「痛いし怖い、、、紹介状に名前書かれたからだ、、、もう許してくれ、、、」とおもっていた。
ゴマ「うん、鼻の奥に異常はないかな。後で採血室で採血して、点滴して今日はかえって。肝臓の数値次第で入院ね。昨日は何食べた?」
ワイ「わかりました、、、昨日は魚肉ソーセージとゼリーですかね」
ゴマ「、、、魚肉ソーセージすきなの?」
?????????
あったから食べただけなんだよなぁ、、、。
あとパソコンにわざわざ「魚肉ソーセージ」って書くな!!!!恥ずかしいだろうがやめろ。デジタル式デスノートやめろ。
マッマもちょっと笑っていた。「魚肉ソーセージとかやめてよwwwwwww」と言いながら私の肩を叩いてくる始末である。魚肉ソーセージになんの罪があるのかだろうか?ニッスイおさかなのソーセージにあやまって欲しい。
大学病院で意味のわからない辱めをうけたあと、2時間にわたる点滴と採血をされ、ゴマの最終判決をまつ。
肝臓の数値がそんなに高い訳では無いので入院はしなくてよいらしい。
そのかわり明日も点滴に来いとのことだった。またゴマの顔を見るのか、、、(困惑)と思いつつもここは医者のいうことなので素直に従う。というか、ゴマは確実にサイコ野郎なので怖い、また突拍子もなく鼻奥に何かを噴射されかねない。
また、わたしの病名は「EBウイルス」で、この年代はわりと多くかかっていて、この時期に入院してる子がかなりいるということだ。若者のトレンドにEBウイルスはなりつつあるのか(困惑)そんなもの流行らせなくていいから(良心)
その日は無事帰宅。柔らかいもの、液体しか摂取できなくなり、石鹸のような固形物だって食べるゴキブリ以下の存在と化したわたしは麦茶とコーヒー牛乳とポカリをがぶがぶ飲んでいた。ゼリー飲料ものんだ。味はわからなかったが、とりあえず食欲は満たせた。
翌日 金曜日
またゴマとご対面である。しかも朝から。
ちなみにゴマは何故かタバコへの熱い対抗心を持っており、初診にかかった日も家族に喫煙者はいないか聞かれ、いると答えるとめちゃくちゃに語られた。J〇に親を殺され、喫煙者に村を焼かれた男 ゴマ。
この時点でワイはゴマが苦手だった。そもそもワイのEBウイルスに煙草は一切合切関係ない。
なのに何故。この謎は今だにわかっていない。しかし、ゴマが煙草アンチであることだけは確かだった。
しかし、ゴマも医者である上におそらくこいつもデスノートの保有者である(ない)から蔑ろにはできない。
そんなゴマは非常によく効く薬を処方してくれた。新世界のキラが出してくれた薬は(おじいちゃん)など足元にも及ばなかった。彼は所詮ニセモノだったのだ。
鮮やかな色のうがい薬
これが新世界のキラが私に与えた神器だ。
ロキソニンのお陰で熱も下がり痛みも多少和らいでわたしはうどんを食べれるまでに進化した。今までは液体でしかエネルギーを生み出せない車と同等の存在だったがついに固形物からエネルギーを摂取し生み出せるまでになった、驚くべき成長である。体内における技術革新が起きた決定的瞬間。
そして今
熱は下がり、関節の痛みは消え、喉もうんともすんとも痛くなくなった。喉の白い何かも姿を消し、わたしは勝利を確信している。私の勝ちだ。
EBウイルスに勝利した私こそ、新世界のキラなのだ。
しかし、このあと3時半からまたゴマとご対面である。非常に行きたくない。
追記 EBウイルスは、唾液で感染します。
気をつけましょう。
夢の国で下ネタぶちかました話をする
みなさんディズニーランドで売ってるこんなハンバーガーご存知ですか?
わたしこのハンバーガーのせいで夢の国に下ネタミサイルぶちかましたことあるんですよ。
あのね、なんでか順をおって説明しますとね。
わたしは事前にこのハンバーガーもどきがあることを知っていたわけです。
そんでね、夜レストランでこれ食ってたわけですよ、母が。
それでね、「あっ!本当にあるんだー!」って興奮しましてね。
人間って、興奮してると正常に言語機能が働かないんですよ。アドレナリンのせいなのかわからないですけど。
それでね、わたしは本来は
「ミッキーの手のかたちの肉まん?」って言いたかったんです。そもそも肉まんじゃないんですけど。
そしたらね、
「ミッキーの手マン?!?」って言ってしまったんですよ。
空気が凍りついたよね。
そんで、下ネタ投下直後は「なんでみんな固まってんの?」ってなって。
投下して30秒くらいかな、ことの重大性に気づいたのは。
普通にキャストの人後ろでテーブル拭いてたしぜったい聞こえてたよね。
もうしぬほど恥ずかしい。
いまでも思い出す度ウァァァアってなる。ころしてください。。。