ただ言いたいことだけを言うブログ

ただ言いたいことだけを書き連ねます。愚痴が多めかも知れません。

パーソナルカラー診断にいってきた

本日、パーソナルカラー診断にいってきたゾ。

貴重な体験かつものすごく楽しい時間だったのでブログに書き残そうとおもいまスゥゥゥゥ。

参考になるかわからん、わかんけど体験談として読んでくださいオナシャス


プロ診断を受けるのは実はこれが初めてなんですけど(激白)

私はデジタルセルフ診断の末てっきりブルベ夏だと思っていて、バンバンブルベ夏向きの服やコスメを買ったりしていた。アホの極み乙女。

なので、今回はきちんとしたプロの人に「お前はブルベ夏やで」っていう太鼓判をおして頂こうという決意のもと、診断にむかったのですが、結論からというとね、違ったよね~!

(過去の自分)背負いなげ~~~~~~~!(IKKO)


私は今回診断していただいた先生を、「住んでいる地域」+「パーソナルカラー診断」で検索し、いくつかhitしたものの中から、「あっこの先生すごい良さそうだなぁ」と直感的に思った先生ところに予約をしました。

今回診断していただいた先生は、ブログをかなりマメに更新されていて、受講した方々の感想も載せられていて信頼度が抜群に高かったんですよね。

私のようにどのサロンを選べばいいのか迷っている人にはとても有難かったです。また、文章から優しさと美意識の高さが伝わってきて、気づいたら予約していました()

急遽4日前に予約したにも関わらず、普通に受け入れてくださいました。ありがとうございます。


診断日前日

緊張と楽しみで眠れなかった。就寝したのはAM3時頃じゃないかなぁ。

なりたいイメージ、似合わないとおもう色などをスマホのメモにでもまとめておこうと意気込んだ瞬間に睡魔にまけて眠る(ポンコツ)あーもうめちゃくちゃだよ。

そしていよいよ迎えた診断日当日。

ブログで見るよりももっともっとお綺麗な女性が入口に立っていて明るく迎え入れてくれました。

パーソナルカラー診断の他にも骨格診断、メイクレッスンなどなど、多岐にわたって活動されている方なので、やはりファッションからヘアカラー、メイクすべてにおいてお洒落で完璧で同性の私でも惚れ惚れしてしまうほどでした。

そして、そんなレベルの高い人に私のような頓珍漢な人間のファッションを見られるわけなのでおしっこ漏れるかと思うくらい緊張しました。


診断が始まるとまず丁寧にお話を聞いて下さり、事前の説明もかなり丁寧にしてくれて、「神か?」と思いました。

それらが終わると、姿見の前に置かれた椅子に座り、先生が次々とドレープを当ててくれるのですが、これ死ぬほど面白いんでね、みんなほんと、目かっぴらいてみててほしい。鏡に映ってる己の姿とか気にしないでいい、もう恥じらいを捨てろ。見ろ。「いやでもブスなんで////」とか言ってねぇで見ろ。というか、先生が、似合う色のドレープを当てるとバンバン褒めてくるので、自己評価が著しく低い時に行くと多分死ぬ。ある程度自分に自信がある時に行こうね!

違いが特に顕著にそれが現れたのは黄色のドレープ(個人差があります)

同じ黄色でも、ブルーベースとイエローベースの黄色があるんだわ。

マスタード色やキャメルっぽい色のドレープ(イエベ色)はびっくりするほど老けました。

玉手箱かなにかか?平成の浦島太郎。

あとフェイスラインがジャガイモみたいになるし、若干髪の毛がベタベタして見えた(これは気のせいかもしれない)

その点自分のパーソナルカラーのドレープ(ハニーレモンみたいなうすいイエロー)を当てるとこれまたすごいです。感動のあまり「ヒョォー!」みたいな声が出ました。イルカみたいな、そんな声だったわ。

顔が明るく見えて、鼻筋にいれてるハイライトがくっきり見えて、チークを入れているゾーンがぱっと華やかに見えるんですよ。

というか顔全体光ってない?大丈夫?みたいな。

知らずしらずのあいだに皮膚組織にLEDでも埋め込まれたかな?って。

神ね。

また、ブルーのドレープもたくさん当てていただきましたが、くすんだ淡いブルー(ブルベ夏)のものはダメでした。

頑張ればいけないこともないんですけど、子供が頑張って背伸びをしているような、「あっママの服借りたんやろなぁ」みたいなイメージになりました。要するにちょっと老けた。大人っぽい感じに持っていきたい時はいいのかもしれない(適当)


かなりはっきりした青(1番似合わないと思っていた色)がいちばん良くて死ぬほどびっくりしました。あまりにも透明感がドバドバ出るので、「透明感がそろそろやばそう」だとかわけのわからない譫言を呟いてしまいました。

ちなみにめちゃくちゃ似合わない色のドレープをつけた時のぼくから飛び出した言葉がこちら。

「土っぽい」「芋臭い」「顔色が土」「顔色がごぼう」「フェイスラインがジャガイモ」「金太郎みたい(オレンジっぽい赤のドレープ)」「今にも死にそう」「死期が近い人の顔」「なんかが疲れてるようにみえる可哀想(他人事)」「なんか顔色が汚い」「うーん還暦祝いみたい(イエベ向き赤のドレープ)」

そして、ベストカラーは黒とオフホワイトでした。

私服も黒、白が中心だったので 「野生の勘だね~!」と先生と二人で盛り上がりました。


診断の結果、私はブルベ冬になるそうです。びっくりしました。まさかブルベ冬だとは思わなかった。

昔からずっとダークレッドの口紅が大好きだったんですけど、これはブルベ冬にとって大正解だそうです。

やったぜ。これからもダークレッドのリップを死ぬほど買い集める、はっきりわかんだね。

そんなわけで、めちゃくちゃ楽しかったし、面白かったので、全人類受けるべきやとおもいます。


『考察』 ギリギリ健常者 syamu_game

湾岸極悪じゃがいもことsyamuさん

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以前、当ブログではsyamuさんが持っていると思われる病気について考察したが、今回はギリギリ健常者と言われている彼の中で1番白熱している議論、「syamuさん運転免許証問題」について切り込んでいく。

それでは Here we......ゴォオォォォォーーー(ヴェロキラ無職)


これもうわかんねぇな。

この運転免許証を巡る議論は今もなお俺オナ民の中続いており、その中で私が思わず納得したものをご紹介していこうと思いまスゥゥゥゥゥ、、、。


『その1 貝塚 カスゴリの私有地説』

※カスゴリとはsyamuさんの両親のこと

これはホンマに草

しかし、syamuさんの行動範囲の狭さから行くと有り得なくはない。

・関東からのファンをわざわざ遠い貝塚まで呼びつける

・食品レビューの材料や昼食はすべて近隣で済ませる

・syamuさんの父親(焼肉)は公務員である

以上のことから 貝塚の一部地域(若しかしたら全域)がsyamuさんの私有地なのかもしれない。

だから運転免許証は必要なかった、、、、?


『その2 湾岸のカードを免許証と間違えている』

これだいすき

syamuさんは湾岸ミッドナイトというゲームをやっていたらしい。(マリオカートみたいな)

そのゲームでカードのようなものが貰えるらしく、それをsyamuさんは免許証と勘違いしているのでないか?という説なのだが、安易に否定出来ないのがツァムさんの怖いところである。

「ゲームだけど運転できるだで」

「俺運転できてるだで」

「カードもらえただで、、、これが免許証、、、?」


うーん、ありえそうで怖いんだよなぁ(失礼)


syamuさんは物事を自分の都合のいいように捉えようとする所がある。

例えばTwitter

「俺のファンでいいのかな?」というツイート(ファンの女子へのリプライ)があるのだが、


おい引きこもり!(人の話をちゃんと最後まで)聞いてんのか!


おそらくファンの女子と512810(恋に発展)を狙っていたツァムさんは、浮き足立って「俺のファンでしょ、うん、そうだと思うわ。そうじゃないとは限らないよね?」とかなんとか無職理論をぶちまけてしまったのだろう。

この理論が湾岸でも働いたとしたら、、、?


そう、つまり順平は俺オナ民の言う通り、湾岸のカードを免許証だと勘違いしている可能性も0ではない。


『その3 0に愛されている男』

これは私の独断と偏見にちがいないのだが、syamuさんが試験に合格できる気がしない。彼は0にしか愛されない男だからね、しょうがないね。

もし教習所に行っていたとしても終始ウォンツモードかつ、すぐにCPU使用率120パーセントになってしまうずんぺーを、助手席にいる講師が殺しそうで怖い。産婆や講師から命を狙われる男。

ずんぺー「わからん、わからんわ(笑)」

講師(ブチギレ)(アクセル全開)

ずんぺー「だでええええええ」


こういう、悲しい結果で 終わりですね。



『ケツ論

私の出した答えは「免許は持っているが、合格するまでに複数回落ち、湾岸のカードを免許証として携帯していそう」(免許証はとっくに紛失していそう)

である。

「syamuさんだってそこまで知的障害者ではないだろ!いい加減にしろ!」と言われそうだが、

『お前頭syamu?』『頭浜崎順平』『産婆に首を捻られた男』などと言われている彼だからしょうがないと思う。ゴメンナサイネェ~


ゲロが許されるという風潮

許すな。


私は以前から解せなかった。

なぜ、たくさんある中でゲロだけは許されるのだろうか?と。

人がもらせるものは多々ある中、許されているのはゲロだけである。

これは差別ではなかろうか?

例えば、うんこを町中で漏らしたとして、ゲロのように誰かが介抱してくれることはあるだろうか?

わたしはうんこだったら100%ないと思っている。

酔って吐いている女の子を介抱している大学生も、その女の子が酔った勢いで突然大量のうんこを漏らしたら、今後一切関わらないであろう。(なお、この男子学生がスカトロマニアだという場合はのぞく)


なぜゲロは許されるのだろうか?


理由として、吐いている時の姿が苦しそうに映るからではなかろうか?


うんこは、出すまでの腹痛が一番しんどいため、出してしまえさえすれば痛みから解放されるが、ゲロはそうではない。

とくに、アルコールで酔ってゲロを吐くとなると、1度や2度ではすまないし、出し切っても気持ち悪さは続くであろうから、仕方ないのかもしれない。


しかし、見た目のフィジカルでいえば確実に うんこの方が上ではないだろうか?

ゲロは親しみににくいが、うんこはその点親しみやすさがある。国籍問わず子どもにはウケがいいし、うんこは世界的スターと言っても過言はない。

それなのに、ゲロばかりが優遇され、

体液の中では比較的ポピュラーで、害がそこまでなく、むしろチンパンジーが免疫力を高めるために使っていると言われている鼻水でさえ「きったなーい!」といわれてしまう。

明らかにゲロの方が汚いんですがそれは、、、。



なぜわたしがここまでゲロというこの世ので一番存在価値のないものに執着しているかというと、わたしのバイト先が飲食店で、来月繁忙期を迎え、ひとりくらいはゲロを吐く生物兵器ハザードに直面する危惧があるからだ。


今から逃げたい気分だ。

ゲロ だめ絶対。

なぜ店長の連絡ノートはおもしろいのか?

なぜ店長の書いた連絡ノートはおもしろいのか?


先日、当店に中国人のお客様がお見えになった。深夜帯にも関わらず来て下さり、しかも飲み放題までつけてくれた上客である。

しかし、そんなお客様が飲みすぎたあまりに嘔吐してしまった。

その時 私は出勤していなかったのでわからないが、その日の深夜は忙しかったようで 多忙を極める中で嘔吐物の処理までするのはすごく大変だったろうと思う。


数日後 出勤して「連絡ノート」(従業員同士の伝達に使われる)を開くと、店長から「中国人のお客様がマットにゲロを吐かれて干してあります。 」との伝達事項があった。


わたしはそれを読んだ瞬間、ささやかに笑ってしまった。

本来、お客様が嘔吐したらしんぱいするたちばにあるはずなのに、なんでか少し面白くなってきて、私はずっとニヤニヤしていた。

それは皆同じだったようで、従業員のお姉さんも笑っていた。


何故こんなにおもしろいのか?


それは、考えれば考えるほどおもしろい絵面だからだと思う。


まず、これが「日本人のお客様」ではおもしろくない。

日本人の客がゲロゲロ吐くことなんて日常茶飯事だからだ。

これは中国人であるということが大きなウエイトをしめているといっていい。

もうその時点でおもしろい。

そして、中国人がマットにゲロを吐くというところ。

なぜマットなのか?

トイレに間に合わなかったのだろうが、店内に色々あるスペースの中でなぜマットを選んだのか?

吐いた時は「我嘔吐為 謝罪」みたいなことを言ったのだろうか?


噛めば噛むほど味が出る

考えれば考えるほどニヤついてしまう

まるでするめである


第2に、これが面白い理由として

「容易に想像できるから」があげられる。


我々は日常会話においても、この「想像」という力を働かせている。

たとえば

A「犬を飼ったんです!白くてもふもふで可愛いんですよ」

B「わぁ~!ぜったいかわいいですね!」

この時Bは、意識せずとも「白くてもふもふの犬」を想像しているのである。

想像は他者への共感を生む第一歩であり、会話の中で実は最も重要なものなのかもしれない。

この「中国人のお客様がマットにゲロを吐かれて」は、いとも簡単に想像するのことが出来るのだ。しかもかなりのギャグタッチで。

中国人のお客様が体を折り曲げ、右目からひとすじの涙を零しながら嘔吐しており、その後ろで 絶望的な表情をした店長が見える見える。

そして、シンデレラのように必死でお掃除をする店長。

マットを哀愁に染まった表情で洗い流す店長。

もはや0~10まですべておもしろいではないか。M-1優勝待ったなしである。

そのあと店長はマットを外で洗い流したらしい。

吐瀉物を一般道にぶちまけるのか、、、(困惑)と思ったが、店内で汚染された水を捨てられるのも困るのでこれは賢明な判断だったと思う。


最後に。店長の連絡ノートへの書き方にすべてが現れていた。

怒りと 悲しさと 切なさが混じった字だった。少し文字の輪郭が震えている気さえする。果たしてそれは ゲロを吐かれた怒りか、それとも、、、。

そして、現場の状況を端的にたった二行でまとめた表現力。

これは徒然草を書いた兼好法師でもびっくりするレベルだし、もはや今回のこの「中国人のお客様がマットにゲロを吐かれて干してあります」だなんて、探したら徒然草にあるんじゃなかろうか?

そして、うっすらと にじみでる 偏見。

本来、店長が我々に伝えたかったことは「ゲロを吐かれたのでマットは干してある」ということだけなのだが、あえて「中国人」という主語をつけたすことでいい味が出ている。

おそらく店長からしたら人種差別的な意味合いなど一切なく、彼の中で「中国人がゲロを吐いた」ということが印象的だったのだろう。

確かに、もしも同時に日本人と中国人にゲロを吐かれたとして、印象に残るのは後者であるから、店長が余分な主語をつけてしまっても致し方ないと思われるが、今回はケースがケースなだけあり 「中国人の客がゲロを吐く」というパワーワードを生み出してしまっていた。要するにパンチが強すぎたのだ。だからこそ、面白かったのだと思う。

休憩時間にこんなものをかく私はどうかしている。兼好法師だって仕事中には書いていなかっただろうに。

まあ いいや。

今回はおわり。

徒然なるままに。

盲腸になった時の話

盲腸になったのは三年前のことだろうか?うろ覚えなのでわからないが多分そうだと思う(池沼)

当時わたしは高校生だった。そう考えると感慨深く、ちょっとおセンチな気分である。

 

 

 

盲腸になった日の朝、わたしは右腹部を襲う謎の違和感に苛まれていた。

起きがけからそんなコンディションだったので、テンションはもはやマイナスだった。

そして、「なんかお腹が変」とぼそっと呟いた私に母は「膀胱炎じゃないの?」と言い、猪苓湯(膀胱炎の薬 )を差し出してきた。

寝起きの機嫌の悪さ+謎の痛み+明らかに違う薬を渡された怒りでわたしは「は?(威圧)こんなもん効くわけないやろもうえぇわ学校行くわ」とプンスカしながら登校した。馬鹿である。学校へ向かう途中、いよいよ盲腸は本格的に始動し始め、この当たりからもやもやがズキズキに変わり始めた。

(もしやこれは、、、)

この時、わたしは「盲腸なのでは」と思い、クラスの友人に「これさ、、、めっちゃいたい、盲腸かな?」と聞いてみたのだが、「うーん盲腸だったら来れないと思う」と至極真っ当なことをいわれ(まぁ来たのだが)「せやな」と思いわたしは自分の席に戻った。

幸いこの日は授業が2時間目までしかなく、不幸中の幸いだったのかもしれない。そして、下校の時には盲腸はヒートアップし、最終局面を迎えようとしていた。

例えるならば、家を出る時は幼稚園のお遊戯会レベルが下校時には本場スペインのフラメンコ並の進化を遂げていた。

まるで内臓を刃物で刺され、熱した鉄パイプを当てられているかのような痛み。

それは歩く度に襲ってくる。

そんな中でもわたしは(いまマサイ族みたいにジャンプしたら多分しぬな)などと意味のわからない妄想をして、笑っていた。そしてやっとのことで家に着くともはや腹の痛み具合は白熱していた。ズボンすらヒィヒィ言いながら履いたほどだった。母は「だから薬のめっていったでしょ!」と怒っていた。

わたしは母の運転する車に揺られながら近くの内科へと向かった。

 

高校生にもなってわたしは内科の待合室で号泣した。痛みは鉄パイプや刃物どころではなく、右腹部に核ミサイルでも撃ち込まれたのではと錯覚する程だった。

1時間ほどして診察室に呼ばれ、泣きながら先生にお腹を触診される。

お腹をトントンと叩かれながら「ここは?」「じゃあここは?」などと言われながら痛みが発生している場所を特定していく先生。盲腸たちにとってはアノニマスくらいの脅威だと思う。

先生はやさしく「ここがいたい?」と先ほどフラメンコ会場であり今は核ミサイルが撃ち込まれた場所を押してきた。

先生が手を離した瞬間、痛みが猛烈に遅い「タナカッ!イタイ!」などと絶叫した。

痛みによるパニックでわたしはお腹と田中を言い間違えるという奇跡を起こし、母は笑っていた。

先生はそんなわたしをみて「憩室炎かもしれない、、、」と真剣な眼差しで語った。「すぐに大きな病院へ!」

医療ドラマでみたあのシーンが繰り広げられている。わたしは感動した。

先ほど田中で笑っていた看護婦さんも慌てふためきだし、近くの大学病院へ急患が行く旨を伝えるために電話をし始めた。しかし、一向に繋がらない。無能である。

やっと繋がったと思いきや、調子が悪いのかまったくお互いの意思疎通ができず、普段は温厚で優しい先生が「ちゃんとかかってからもってきて(ガチギレ)」と看護婦さんに怒っていた。

わたしはそれをみて笑ったせいでまた腹を痛めた。

母は「あっやばい」と思ったのか急に怒るのをやめ、事態が急展開を迎えたことを悟ったのか、なぜかわたしの腹にそっと おさるのジョージのタオルをかけはじた。そんな小さなエテ公のタオルをなぜかけたのか?未だにそれはわからない。

あれよあれよという間に紹介状をわたされ、大学病院へとむかった。

そこでメガネ先生に診察され、メガネ先生は半笑いで「緊急入院です!」と宣言した。

私と母に激震が走った。

実は大学病院へ向かう車内で、「幼なじみのNちゃんも盲腸かかったけど、お薬でおわりだったみたい」と聞いていたので、まさか入院だとは思わなかったのだ。

緊急入院、その言葉を聞いた時わたしは愕然とした。今日帰宅出来るくらいの心持ちでいたのに。

 

看護婦さんたちは私のために部屋の準備をしてくれ、母は一度自宅にわたしの入院セットなどを作りに帰り、当の私は母が「あっ、先週わたしインフルで~」などと余計なことを口走ったため、鼻に綿棒を突っ込まれていた。三重苦である。鼻も、腹もいたい。加えて熱も出てきた。平成のヘレンケラーは私ではないか?とその時はおもった。

 

病室は私以外全員おばあちゃんだった。

「これが少子高齢化か、、、」と意味不明なことをおもいつつ、ベットに寝転がった。

しかし、痛くて痛くて眠れない。わたしは速攻ナースコールをおし、痛み止めをくれと訴えた。「はぁいわかりました」とにこやかに消えていく看護師。

しかし、看護師がもってきたのは薬ではなく、そこそこでかい注射だった。今思えばあれは麻酔の類だったのだろうか?

筋肉注射をされ、わたしは痛みから解放された安心感と体をおそう倦怠感に勝てず、そのまま眠ってしまった。

 

2日目

痛みはほぼ皆無になっていた。どうやら昨日からずっと盲腸を散らす点滴をしているらしい、どうりで右腕に違和感があると寝ている時から思っていた。

手術で取るほどの大きさでもないし、女の子だから傷が遺るのはかわいそう(哀れみ)という先生のご意向によって、点滴になったらしい。

ほーん、手術じゃないならえぇわ。

盲腸って案外楽やなぁと思ったのも束の間、栄養士がわたしのところにやってきた。

わたしはウキウキで今日のメニューか?と思っていたがどうやら「あと3日は絶食やで、でもそれ終わったらワイが貴様の献立考えたるからな。そういうわけやで、よろしく」と言いに来ただけだった。

お腹は当然空腹である。

わたしは泣いた。

ご飯があと3日は食べられない。今日も含めたら4日、、、?

水も口にしてはならぬと言われ、もはやわたしは何のために存在しているのか分からなくなった。

わたしは涙目でテレビをつけたのだが、画面の中で春日が美味しそうにステーキを頬張っていたので即消した。

この4日間の記憶はない。ない。ない。

割愛する。そして5日目。やっと食料にありつけた。しかし、出たメニューは重湯という、お粥をさらにぐしょぐしょにした 米の味のする液体である。

メニューは重湯と、鶏ガラスープだった。おい、液体しかねぇじゃねぇか!!隣のばあさんでさえなんか固形物くってるよオイ!!!

殺意を抱きながらもとにかく重湯を口にしたが、元々お米そのものに味なんてないだろう説を唱えるわたしにとって重湯はただの拷問でしかなく、8割のこして、鶏ガラスープを完飲した。そしてこの日から飲みものも解禁されたため、わたしは点滴のガラガラをひっさげながらスキップで自販機へとむかった。

古かったのか、歩く度に「ガラガラガラ!キィ!!!!」という点滴をさげる棒みたいなやつは、苦情が入ったのだろうか?いつの間にか新しいものに変わっていた。ごめんなさい。

 

自販機で買って飲んだ紅茶は死ぬほど美味しかった。私は泣いた。

砂糖って偉大だよなぁと思いつつその日は寝た。

 

そしてついに退院の日。

わたしは食のありがたみと、内臓

が炎症を起こした時の痛みを経験して帰宅した。

もう二度と、盲腸にはかかりたくない。

 

私がもう二度とかかりたくない病気ランキング

思い返してみれば私はめちゃくちゃいろんなウイルスや病気に罹患している気がする。骨折などの外傷の経験はないのだが、ウイルスには好かれているようだ。

最近だとEBウイルス(伝染性単核球症)にかかったし、去年は盲腸で入院した。

踏んだり蹴ったりである。

そんな私が満を持してもう二度とかかりたくない病気ランキングをつくってみた。

 

第3位 インフルエンザ

これはかかるインフルエンザの種類によるのだが、重いタイプのやつに体が最も弱ってるときにかかると地獄である。

特に年齢を重ねる事に辛くなっている気がする。現に、わたしも私の母も久しぶりにインフルエンザになった際、二人してめちゃくちゃ痩せた。

母は「老いにはついていけない」と遠い目で赤ちゃんせんべいを齧りながら呟いていたのを覚えている。

症状としてつらいのは関節痛と物凄い倦怠感である。例えるなら、1週間ぶっ続けで泳いだ疲れが溜め込まれて思いっきり突然来襲しただるさだ。

体育のプールのあとの現代文の授業の10乗くらいのダルさとどうしょうもなさなのだ。

サラッと書いていた関節痛も死ぬほど辛い。いっそ四肢をもぎとってくれればいいのにとすら思うほどの痛さと不快感で、私はいつも膝が叩き割られているのではと錯覚するほどの痛みに襲われるので、潰れたカエルような体勢になってなんとか痛みをしのいでいる。インフルエンザの前では乙女のプライドなど微塵も存在しない。この地獄のような現状を打破する解決策は苦肉のカエルポーズしかない。

ただ、予防接種だけしておけばかからない時もあるし、万一かかっても軽症で済む場合もあるのでコイツは3位となった。

 

第2位 盲腸(虫垂炎)

わたしはこの病気の存在をさくらももこのエッセイ、「もものかんづめ」だかなんだかを読んで知ったと思う。

当時は笑っていたが、いざ自分の身降りかかると笑えない。

発症した朝、私は同時期に膀胱炎も発症していたため、その痛みかもしれない思いこみ、心配する母を他所にヒィヒィ言いながら痛む片腹を抱え学校に向かったが関の山である。

2時間目あたりで痛みはヒートアップしてきた。もしこれがナイトクラブだったらピーク真っ盛りといったかんじで、とにかく朝のぼんやりとした痛みに比べたら同一人物とは思えないほどの急成長である。戦後の日本かよ。

わたしはさすがにやばいと思い、泣きながら「病院に連れて言ってくれ」と母に懇願した。母は「もう!だから言ったでしょ!」とプンスカしていたが事態は急変する。いつもお世話になっている温厚で優しい内科の先生が「これはやばいですね」と言い出し、看護師にすぐ受け入れてくれる病院に電話しろと命令し始めた。若干キレていた。普段はとても優しく、嘔吐が止まらないと泣きわめくわたしを慰め、「すきなものをたべていいからね、なにがすき?」と優し聞いてくれるような先生なのだ。ちなみこの時はわたしはなぜか「フライドポテト」と答え、先生は「そんなもん食ってるからゲロ吐くんやぞ」とで言いたげな顔をしていた。そんな先生もキレつつ紹介状も書き始め、母は目が点になっていた。わたしは盲腸の検査のため、腹の至る所を指圧され「いてぇよ、、、」と産卵時のウミガメの如く診察台に寝転がりながら泣いていた。

すぐに向かうようにといわれ、わたしは向かった先の病院で緊急入院だと告げられた。

鎮痛薬を打ってもらったお陰で痛みは軽減したし、幸い手術ではなく点滴での対処になったのでそこまで入院することはなかった。

しかし、盲腸のせいでわたしは2日間の断食を強いられた。体調は回復し、腹も痛まないのに、「ダメです」という無慈悲な処刑宣告。わたしは大人しくポカリを飲んでいた。しかし、そのポカリすら1口しか含んではならないという禁忌があり、わたしはキレそうだった。

四人部屋だったので、隣のおばあちゃんたちがムシャムシャ何か食べていたのでわたしは餓鬼になるかとおもった。

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↑わたし

 やっと三日目の夜にご飯にありつけたが出てきたのは離乳食の成れの果てのようなドロドロした物体で、わたしはまたキレそうになった。

まともなご飯を食べれたのは退院当日の朝である。

もう二度とかかりたくない。

 

栄えある第1位 それは

 

ノロウイルス

めちゃくちゃ清潔感溢れる色で紹介したものの、コイツは清潔感とは全く無縁の言葉であると言っていい。むしろ清潔感の対義語として広辞苑に登録されてもいいのではないか?

コイツは主に冬にやってくる。北風小僧の三太郎かな?

冬は私にとって恐怖の季節で、手がガサガサになるまで洗うのは毎年の恒例行事なのだ。

私がコイツにかかったのは小学校高学年の頃だったと思うあまりにも辛かったため、記憶がめちゃくちゃ曖昧なのだが、ハチャメチャに辛かったことはしかと覚えている。

最初に我が家にウイルスをもちこんだ戦犯は当時幼稚園児だった妹だと思う。

最初に妹が発症→母と私が同時に発症→父も発症(しかし軽症)

ちなみに祖母はピンピンしていた。わたしたちのゲロ処理を行い、共通のトイレを使っていたのにも関わらず。

戦前に生まれた血は、強い。私はそう確信した。

発症当時の晩御飯(最後の晩餐)は豚トロだった。

後はわかるな。

ちなみに、ノロウイルスの嘔吐は一般的な嘔吐とは少し違う。

一般的な嘔吐は「あっやべ」というインターバルがあるのだが、ノロウイルスは全く違った。わたしはごはんを食べ終えたあと、ゲラゲラ笑いながらマンガを読んでいたサラッとでた。

そう、ほんとにサラッと。

「アハハ!ケポッ」

意味がわからない上に一体なにが起きたのかわたしは理解するのに数十秒かかった。

そして全てを理解し終えた瞬間に、解き放たれたのである。

そこからの2日間は地獄である。

あまりにも辛かったせいなのか、1日目の記憶しかない。

そして完治して3日目にみんなで赤ちゃんせんべいと食パンを黙々と貪っていた記憶がある。

それくらい辛いのである。

そのうえコイツは非常に厄介で、100個程度人体に入っただけで発症する。

嘔吐物からの感染、空気感染が主で、電車やショッピングセンターでもしも感染者が嘔吐したらおわりかもしれないのだ。パンデミックの始まりである。

コイツは本当に辛いので、生牡蠣を食べる人たちが本当に頭おかしいんじゃないのかとおもう。

 

以上。

みんな

気をつけよう!!!、

 

 

 

 

美輪明宏さんについて、故・三島由紀夫さんはこう言葉を残しました。

「君は僕と同じくらいの審美眼を持っている。でも君はずるい。その審美眼にかなうほどの美しさを持っている。」

 

こんなことを言わせてしまう美しさが美輪明宏さんにはあるのです。

わたしは初めて美輪明宏さんの当時のお写真を見た時に、なんて美しいんだろうと息を飲みました。

 

オードリーヘップバーンのような大きな瞳

綺麗でスッと通った鼻筋と主張しすぎない小鼻

男の人とは思えない輪郭

黄金比率に従って配置されたパーツ

目元に影を落とす長い長いまつ毛

本当に美しい人をみると、なんだか泣きそうになるのだと、その時に気づきました。べつに悲しい訳では無いのです。

ただ美しいのです。

その美しさがスゥーと心に溶けていって、じわじわと身体に広がるような感じで、自然と涙腺がほころんでいき、涙がポロッと零れるんです。

モノクロの写真の中にうつる美輪明宏さんの美しさが、わたしは死ぬほど欲しかった。まさに喉から手が出るぐらい。

ため息が出るほど、あまりにも完成された美だったのです。

 

本当にこんな人が生きているんだ

同じ人間なんだ

 

頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じます。

 

美輪明宏さんの他に、私はもう1人美しいと思う方がいます。

 

マリリン・モンローです。

わたしがマリリン・モンローのことを知ったのは小学生の頃だったと思います。

TVの中でCMかなにかに出てきたあの瞬間、わたしは子どもながらに「わぁ」と声を上げました。

最初、わたしは彼女が実在する人間だとは思わず、「このおんなのひと綺麗だね、すごいね。本物かなぁ」と隣にいた母に聞いた記憶があります。

母は笑って「マリリン・モンローだよ。本物だよ~」と教えてくれました。

 

今までわたしは美しい女性を見ても、そこに「綺麗」「かわいい」以外の感情を覚えなかった気がします。

ですが初めて彼女を見た時に「あぁ、綺麗で性的だなぁ。セクシーってこういうことなのかぁ」と感じました。

セクシーというのは極端に露出をしていることではなく、単に表情と顔立ちだけでも表現できるのだとその時に実感しました。

そして、彼女がとっくのとうに死没してしまっていることにショックを受け、「美人薄命」ということわざの意味を痛感せざるをえなかったのです。

36歳という早すぎる死。

死因は睡眠薬の過剰摂取だそうです。

わたしは「神様がはやくつれていっちゃったのかな」とぼんやり思ったのを覚えています。

 

輝かしいブロンドヘア

赤く塗られた形のいい唇

タレ目でくりくりな目元

くっきりとした二重

トレードマークともいえるホクロ

 

バービー人形のようだとしみじみ思うのです。

 

去年の夏、家族とグアムに旅行に行った私は、お買い物ついでに現地のアナスイに行ったのですが、そこでマリリン・モンロービスクドールのいい所をとって2で割ったようなお姉さんに出会い、とても感動しました。彼女さまざな国の混血らしく、キラキラ輝いていました。

どのブランドにもお姉さん(美容部員)

はいましたが、彼女はたった1人、そこに立っているだけで圧倒的な存在感を放っていました。

母も、父も、妹も私も全員「あれマネキン?」と疑ったほどでした。

 

そして彼女はアナスイ特有のものすごい柄の、とても一般人には着こなせないようなとにかく形容しがたい柄と色の服を着ていたのですが、それすらも霞んで見えるほどでした。完全に自分のモノにしていたのです。

わたしは衝撃を受けました。

美しさは人を魅了するだけではなく、物や服さえも自分のモノにしてしまうんだなぁ。と。

機会があれば、またあのお姉さんに会いに行きたいと思っています。

そしてお写真の1枚をどうにか撮らせていただきたい所存です。

 

嗚呼。美しさとはすごいものですね。

私はそんなもの微塵も持たずにこの世に産み落とされてきた身なので、来世はきっと美しくなりたいと、そう思っています。